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ボランティア団体 広島教区内のよびかけ、とりくみ

カトリック広島司教区ボランティア活動団体情報

広島司教区には多くのボランティア活動をしている団体があります。

「社会へのチャレンジ」の⼀環として、今回これらのボランティア活動団体情報を集約し公開することにより、教区の皆様に活動の内容を知っていただき、連携を強めると共に、協働の輪を広げることに利⽤していただければと思います。
なお今回掲載するボランティア団体は、以下の条件を満たす団体に限定しています。

・掲載を希望する団体であること。
・教会内の組織のみならず、教会外の組織に教会メンバーが加わっている団体も含むこと。
・現在活動中の団体であること。

・リストはA~Dのカテゴリーに分かれています。

A 福祉活動

B 社会活動

C 災害支援

D 寄付活動

 リストはこちらから

なお、本情報は団体責任者、窓⼝担当者から寄せられた情報をそのまま掲載しています。広島教区が公認した団体ということではありません。

団体についての質問があれば直接団体にお問合せください。
なお情報の誤り、更新、掲載希望がある場合は、平和の使徒推進本部 社会司牧担当(info@social-desk.net)に連絡をお願いします。

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広島教区内のよびかけ、とりくみ

社会司牧デスク、ホームページ開設

社会司牧デスクでは、このホームページを通じて情報を提供していきます。

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平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

平和行事 ピースウォーク 

                     

済美学校の碑 (YMCA保育園)                 ②臨時帝国議会仮議事堂 
憲兵隊司令部跡米兵捕虜の慰霊銘板 
旧護国神社被爆鳥居台座(青少年センター) 
被爆シダレヤナギ  
平和公園 原爆ドーム   
爆心地 島内科医院
レストハウス(被爆建物) 8/5・6のみ20:00まで開店
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
被爆遺構展示館  
原爆の子の像(折り鶴の奉納)
韓国人原爆犠牲者供養塔 
原爆供養塔 平和行事平和のための祈りの集い               

            

                          

                     

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平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

①廣島陸軍偕行社付属 済美学校

①廣島陸軍偕行社付属済美学校  
   YMCA保育園  中区八丁堀7-11

1872年創設の開成舎を前身とする陸軍偕行社の経営するこの学校(小学校・幼稚園)の歴史は、原爆投下によって幕を閉じる。ここに通っていたのは高級軍人や官僚の子女。当日は給食のため登校していた児童、職員、駐屯兵あわせて160名以上骨も残さず全滅した。「墓標-峠三吉」碑版。

後ろに見えるのが「墓標 峠三吉」

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

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平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

③米国人捕虜のプレート

②アメリカ人捕虜のプレート
 中区基町12-8

1945年7月29日にアメリカ軍の飛行機が墜落、9人の乗組員のうち1人はその場で死亡。8人が捕虜となる。うち2人は東京へ、6人は広島の憲兵隊へ。6人が原爆で死亡。

うち2人はユーカリの木 相生橋西詰めで鎖につけられたまま放置させられた。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

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④旧護国神社被爆鳥居台座

④旧護国神社被爆鳥居台座(青少年センター)
       広島市中区基町14青少年センター

この鳥居台座は、青少年センターの北隣、爆心地から来た方向に約370mに位置していた旧廣島護国神社のものです。神社には、3つの鳥居がありました。原爆によって北側の鳥居は北方向に、東側の鳥居は西方向に倒れました。この台座、北側の鳥居の支柱2本のうち、西側のものとされています
 そばに、同じ被爆地 長崎から贈られた長崎市花 紫陽花が咲いています。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

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⑤被爆樹木 シダレヤナギ

⑤被爆樹木 シダレヤナギ 爆心地から370m  

現存する被爆樹木の中では、最も爆心地に近い場所で被爆しました。被爆によって幹が折れましたが、その後根元から生えた新芽が成長したものです。

ここから見えるT字型の相生橋は、原爆投下の目標にされました。

広島市中区基町14 青少年センター西側 本川左岸土手

青少年センターから土手に上がり、相生橋に向かう途中に大きな柳の木があります。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

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⑥平和公園 原爆ドーム

⑥平和公園 原爆ドーム 1996年(平成8年)世界遺産登録

1915年(大正4年)広島県物産陳列館として竣工。チェコのヤン・レツルが設計。被爆当時の名称は、広島県産業奨励館。

 「あのいたいたしい産業奨励館(原爆ドーム)だけがいつまでも恐るべき原爆を世にうったえてくれるだろうか」これは、被爆後1960年に骨髄性白血病で無くなられた高校生 楮山(かじやま)ヒロ子さんの記された言葉です。

当時、原爆ドームの保存に関しては、被爆者の中でも賛否の意見が出ていたが、彼女の日記を契機に一気に保存に世論は動き、「原爆ドーム保存募金活動と署名活動」が始められ、この活動が広島市議会、広島市長を動かすこととなった。その後、1966年広島市議会にて原爆ドームの保存が決議された。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
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⑦爆心地 島病院

⑦爆心地 島病院 (現在の名称は島内科病院)

600m上空で原子爆弾が炸裂。玄関の柱を残して全壊。看護師や患者   80名が亡くなったが、当時院長の島薫氏と付き添いの看護師1名は、  世羅町に出張しており無事だった。その後、袋町国民学校で被爆者の救  護活動に従事した記録が残っている。

広島市中区大手町1-5-25

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
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⑧レストハウス

⑧レストハウス(被爆建物・旧大正屋呉服店) 
8/5・6のみ20:00まで開店

1929(昭和4)年に大正屋呉服店が新築した建物であり,1982(昭和57)年から平和記念公園レストハウスとして整備された。
爆心地から170mの地下室がほぼ当時のままで保存されています。

この地下室でただひとり生き残った故・野村英三さんの被爆体験記を紹介しています。

広島市中区中島町1-1

広島市平和記念公園レストハウス/REST HOUSE (hiroshima-resthouse.jp)

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
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⑨国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

⑨国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

ゆっくりと時間をかけてまわりたい施設。急ぐ時には、地下1F フロアマップ⑧地層標本だけでも。この地表標本はこの建物の建設前に行われた発掘調査の際、地表を断面上にはぎ取り、制作したものです。地層の下に被爆の痕跡を見ることが出来ます。

2024年度の企画展
「暁部隊 劫火へ向カヘリー特攻少年兵たちのヒロシマー」
2024年3月1日~2025年2月28日

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
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⑩被爆遺構展示館

⑩被爆遺構展示館 

被爆の実相を直接見て肌で感じることが出来る。原子爆弾による被害の痕跡が残る住所跡やアスファルト舗装された道路跡など露出展示されている。
⑨ ⑩ 『しづかに歩いて つかあさい』詩:水野潤一 に想いを寄せる。

  

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
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