カテゴリー
ラウダート・シ 子どもと女性の権利擁護のためのデスク 広島教区内のよびかけ、とりくみ 正義と平和協議会

社会司牧通信2407

ダウンロードしてお読みください。

司教団『見よ、それはきわめてよかった

――総合的なインテグラルエコロジーへの招き』 

  7月発売   880円税込み

日本司教団文書:教皇回勅『ラウダート・シ』を土台にして、「すべてのいのちを守るための取り組みに参加するよう呼びかける」ための指針になります。

インテグラル・エコロジーとは

「沖縄慰霊の日にあたり」 | 日本カトリック正義と平和協議会

「沖縄慰霊の日」とは、1945年6月23日、沖縄戦での日本軍が組織的な戦闘が終わった日(日本軍司令官牛島満中将の自決)とされています。実際はその後も戦闘が続き、米軍が沖縄戦終了を宣言したのが、7月2日。降伏調印式が行われたのは、9月2日。沖縄戦では、日米合わせて20万人以上の犠牲者が出ています。

【全文】沖縄全戦没者追悼式 平和の詩「これから」朗読  (youtube.com)

  沖縄県立宮古高等学校 3年 仲間友佑さん 
(琉球新報デジタル)

カトリック那覇教区ホームページ | 日本最南端のカトリック司教区 (catholic.jp)

那覇教区ウエイン・バーント司教様の平和メッセージです。

那覇教区では毎年6月23日小禄教会で朝ミサを捧げ、魂魄の塔までの15kmの道のりを祈りながらの平和巡礼を行われています。
        写真:那覇教区 山田圭吾さん提供

チャレンジコラム vol.21

『エコロジーに向かう回心のための霊的な旅路 vol.2

ロクスひよりやま キャプテン 中井 淳 sj 
    (旧下関労働教育センター イエズス会神父)

先月号で触れたのですが、再び、6月の最後の週に、二日間、周防大島の祈りの家でラウダート・シの黙想プログラムをしました。スタッフ5名の他は新しい参加者はいなかったのですが、まだ私たち自身がこのエコロジカルな回心のための霊的な旅路を一通り最後まで終わっていないので、それを私たちがきちんと歩んでからというサインなのだなと思いました。

 昨年の8月にフランスに行った際に偶然に出会った、ラウダート・シを主題にしてイグナチオの「霊操」を行うための本、「エコロジーに向かう回心のための霊的な旅路」は、遂に翻訳を一通りし終え、今年度の社会教説でもテキストとして使うために製本が完了しました。その本を手にしながら黙想をすることで気持ちも引き締まりました。

 前回は3日目まで行ったので、今回は、四日目、五日目です。自然を搾取し、傷つけてしまうこの社会の罪の構造を見つめます。この世界を癒すために、神様は教会が地球を癒すための道具になるようにと呼びかけます。ある意味ですでに暴力の洪水となっているこの世界において、自然と人々を救っていく船に教会はなれるのでしょうか。被造物たちを救いたい神の思いを感じました。五日目は、さらに自分自身の罪を見つめます。知らず知らずのうちに、この「急かし」の社会の歯車となってしまっていないか。自分の日々の行動を動かしている動機は、深い望みから来るものだろうか。あるいは、社会の罪の構造に属するものから来るのだろうか。私は果たして「山の身になって考えているだろうか」。日々の自分自身の振り返りの中にエコロジー的な視点を持つことへの呼びかけを感じました。そして、地球が深刻な危害を受けている中で、自分はそれを目の当たりにはしない場所であぐらをかいていないだろうか。傍観者となってはいないだろうか。この地球を癒すためにさらなる一歩を踏み出すことに躊躇しているのではないか。私自身の罪の傾きが見えてきました。

 私自身がまずは、このプログラムを提供していくために、エコロジカルな回心の道を歩んでいかなければならないのだと胸に刻みました。引き続き、ラウダート・シデスクは、このラウダート・シ黙想プロジェクトのご案内を皆さんに送り続けます。ぜひ、一緒に歩んでいきましょう。

★カトリック広島教区 セクシャル・ハラスメント相談窓口
広島教区子どもと女性の人権擁護デスク★

受付時間 木曜日(祝日を除く)9:00~16:00   
電話番号 080-9795-3676
メール:desk-hiroshima@catholic.hiroshima.jp

***H・Social**H・Social**H・Social**H・Social**

『ともに歩むあたたかさのある教会をめざそう
    ~あたたかさの源泉に立ち返る(典礼活動)』

発  行
カトリック広島教区 平和の使徒推進本部
正義と平和推進デスク
TEL:082-221-6613 FAX:082-221-6019
info@social-desk.net
ホームページ https://www.social-desk.net/

カテゴリー
ボランティア団体 広島教区内のよびかけ、とりくみ

カトリック広島司教区ボランティア活動団体情報

広島司教区には多くのボランティア活動をしている団体があります。

「社会へのチャレンジ」の⼀環として、今回これらのボランティア活動団体情報を集約し公開することにより、教区の皆様に活動の内容を知っていただき、連携を強めると共に、協働の輪を広げることに利⽤していただければと思います。
なお今回掲載するボランティア団体は、以下の条件を満たす団体に限定しています。

・掲載を希望する団体であること。
・教会内の組織のみならず、教会外の組織に教会メンバーが加わっている団体も含むこと。
・現在活動中の団体であること。

・リストはA~Dのカテゴリーに分かれています。

A 福祉活動

B 社会活動

C 災害支援

D 寄付活動

 リストはこちらから

なお、本情報は団体責任者、窓⼝担当者から寄せられた情報をそのまま掲載しています。広島教区が公認した団体ということではありません。

団体についての質問があれば直接団体にお問合せください。
なお情報の誤り、更新、掲載希望がある場合は、平和の使徒推進本部 社会司牧担当(info@social-desk.net)に連絡をお願いします。

カテゴリー
広島教区内のよびかけ、とりくみ

社会司牧デスク、ホームページ開設

社会司牧デスクでは、このホームページを通じて情報を提供していきます。

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

平和行事 ピースウォーク 

                     

済美学校の碑 (YMCA保育園)                 ②臨時帝国議会仮議事堂 
憲兵隊司令部跡米兵捕虜の慰霊銘板 
旧護国神社被爆鳥居台座(青少年センター) 
被爆シダレヤナギ  
平和公園 原爆ドーム   
爆心地 島内科医院
レストハウス(被爆建物) 8/5・6のみ20:00まで開店
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
被爆遺構展示館  
原爆の子の像(折り鶴の奉納)
韓国人原爆犠牲者供養塔 
原爆供養塔 平和行事平和のための祈りの集い               

            

                          

                     

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

①廣島陸軍偕行社付属 済美学校

①廣島陸軍偕行社付属済美学校  
   YMCA保育園  中区八丁堀7-11

1872年創設の開成舎を前身とする陸軍偕行社の経営するこの学校(小学校・幼稚園)の歴史は、原爆投下によって幕を閉じる。ここに通っていたのは高級軍人や官僚の子女。当日は給食のため登校していた児童、職員、駐屯兵あわせて160名以上骨も残さず全滅した。「墓標-峠三吉」碑版。

後ろに見えるのが「墓標 峠三吉」

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

③米国人捕虜のプレート

②アメリカ人捕虜のプレート
 中区基町12-8

1945年7月29日にアメリカ軍の飛行機が墜落、9人の乗組員のうち1人はその場で死亡。8人が捕虜となる。うち2人は東京へ、6人は広島の憲兵隊へ。6人が原爆で死亡。

うち2人はユーカリの木 相生橋西詰めで鎖につけられたまま放置させられた。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

④旧護国神社被爆鳥居台座

④旧護国神社被爆鳥居台座(青少年センター)
       広島市中区基町14青少年センター

この鳥居台座は、青少年センターの北隣、爆心地から来た方向に約370mに位置していた旧廣島護国神社のものです。神社には、3つの鳥居がありました。原爆によって北側の鳥居は北方向に、東側の鳥居は西方向に倒れました。この台座、北側の鳥居の支柱2本のうち、西側のものとされています
 そばに、同じ被爆地 長崎から贈られた長崎市花 紫陽花が咲いています。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑤被爆樹木 シダレヤナギ

⑤被爆樹木 シダレヤナギ 爆心地から370m  

現存する被爆樹木の中では、最も爆心地に近い場所で被爆しました。被爆によって幹が折れましたが、その後根元から生えた新芽が成長したものです。

ここから見えるT字型の相生橋は、原爆投下の目標にされました。

広島市中区基町14 青少年センター西側 本川左岸土手

青少年センターから土手に上がり、相生橋に向かう途中に大きな柳の木があります。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑥平和公園 原爆ドーム

⑥平和公園 原爆ドーム 1996年(平成8年)世界遺産登録

1915年(大正4年)広島県物産陳列館として竣工。チェコのヤン・レツルが設計。被爆当時の名称は、広島県産業奨励館。

 「あのいたいたしい産業奨励館(原爆ドーム)だけがいつまでも恐るべき原爆を世にうったえてくれるだろうか」これは、被爆後1960年に骨髄性白血病で無くなられた高校生 楮山(かじやま)ヒロ子さんの記された言葉です。

当時、原爆ドームの保存に関しては、被爆者の中でも賛否の意見が出ていたが、彼女の日記を契機に一気に保存に世論は動き、「原爆ドーム保存募金活動と署名活動」が始められ、この活動が広島市議会、広島市長を動かすこととなった。その後、1966年広島市議会にて原爆ドームの保存が決議された。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑦爆心地 島病院

⑦爆心地 島病院 (現在の名称は島内科病院)

600m上空で原子爆弾が炸裂。玄関の柱を残して全壊。看護師や患者   80名が亡くなったが、当時院長の島薫氏と付き添いの看護師1名は、  世羅町に出張しており無事だった。その後、袋町国民学校で被爆者の救  護活動に従事した記録が残っている。

広島市中区大手町1-5-25

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑧レストハウス

⑧レストハウス(被爆建物・旧大正屋呉服店) 
8/5・6のみ20:00まで開店

1929(昭和4)年に大正屋呉服店が新築した建物であり,1982(昭和57)年から平和記念公園レストハウスとして整備された。
爆心地から170mの地下室がほぼ当時のままで保存されています。

この地下室でただひとり生き残った故・野村英三さんの被爆体験記を紹介しています。

広島市中区中島町1-1

広島市平和記念公園レストハウス/REST HOUSE (hiroshima-resthouse.jp)

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑨国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

⑨国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

ゆっくりと時間をかけてまわりたい施設。急ぐ時には、地下1F フロアマップ⑧地層標本だけでも。この地表標本はこの建物の建設前に行われた発掘調査の際、地表を断面上にはぎ取り、制作したものです。地層の下に被爆の痕跡を見ることが出来ます。

2024年度の企画展
「暁部隊 劫火へ向カヘリー特攻少年兵たちのヒロシマー」
2024年3月1日~2025年2月28日

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ

カテゴリー
平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑩被爆遺構展示館

⑩被爆遺構展示館 

被爆の実相を直接見て肌で感じることが出来る。原子爆弾による被害の痕跡が残る住所跡やアスファルト舗装された道路跡など露出展示されている。
⑨ ⑩ 『しづかに歩いて つかあさい』詩:水野潤一 に想いを寄せる。

  

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ